互いに尊敬しあい刺激しあった生涯のライバル、マティスとピカソ。
20世紀を代表する2人の巨匠の知られざる友情と生涯を辿るドキュメンタリー。
|
|
色彩に革命を起こしたフォーヴィスム(野獣派)のアンリ・マティスと、形態に革命を起こしたキュビスム(立体派)のパブロ・ピカソ。1906年、アメリカ人作家ガートルード・スタインのアパルトマンで出会ったことがきっかけとなり、翌年から互いの作品を交換しあうようになる。10歳以上も年が離れたマティスに対して心から尊敬の念を抱いていたピカソ、そして穏やかにピカソとの友情を大切にし信頼していたマティス。時には互いの家を行き来し、手紙を出しあった2人だが、2人の友情は一筋縄ではいかなかった。マティスの言葉を借りるならば「北極と南極のように違う」2人は、常に互いの作品を意識し反発しあった刺激的なライバルだった。
登場するのは、画家としてもピカソの愛人としても有名なフランソワーズ・ジロー。時には2人の巨匠の橋渡し役として、時には緩衝材として、2人の友情と生活を最も近くで感じていた彼女が当時のエピソードを語る。そのほかピカソとマティスの子供たちなども登場し、自画像、女性像などの作品や数々のエピソードを対比させながら、2人が培った友情と偉大な功績を辿る貴重なドキュメンタリーをDVDリリース。本作は2002年にロンドン・パリ・ニューヨークを巡回した『マティスーピカソ展』のパリ開催を記念し、展覧会内容に沿って作られた作品である。
|
 |
|
アンリ・マティス(1869〜1954)
1869年、北フランスのル・カトー・カンブレジに生まれる。法律家を志し法律事務所の書記として働くが、盲腸炎の療養中に絵画に興味を持ったことがきっかけで画家に転向、ギュスターヴ・モローに師事した。初期は写実的な画風だったが、ゴッホやゴーギャンの影響を受け大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表、強烈な色彩を併置するフォーヴ(野獣派)のスタイルを生み出す。1921年頃からニースに活動拠点を移し、くつろいだ雰囲気の手法で作品を制作。1941年に大手術を受けたことでベッドの上での創作を余儀なくされたこともあり、1937年頃から切り紙絵を始めるが、これは彼が光と空間の単純化と純粋化を追求した結果に到達した芸術でもあった。1943年頃から制作に取りかかった『ジャズ』シリーズは歴史に残る傑作。1948〜51年、南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザインを担当、マティスの芸術の集大成といわれている。1954年、ニースにて没する。
|
 |
パブロ・ピカソ(1881〜1973)
1881年スペインのマラガに生まれる。美術教師の父に絵を学び、ロートレックから多大な影響を受ける。バルセロナとパリで若い芸術家たちと関わりながら精力的に活動。作風が目まぐるしく変化する作家としても有名で、1901年〜1904年は青く暗い色調の「青の時代」。1904〜1907年は明るい色調の「バラ色の時代」、1907〜1908年はアフリカ彫刻の影響を強く受けた「アフリカ彫刻の時代」。1908年にはセザンヌに触発され、ブラックとともにキュビスムを提唱し進化させた。1918〜25年頃は母子像を多く描くようになり「新古典主義の時代」といわれている。1953年以降は版画や素描が中心となり、「画家とモデル」のテーマに取り組んだ。生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作、最も多作な画家として知られている。1973年、ムージャンで没する。
|
 |
|
出演:
フランソワーズ・ジロー、アンリ・マティス(アーカイブ映像)、パブロ・ピカソ(アーカイブ映像)、クロード・ピカソ(ピカソの息子)、マヤ・ピカソ(ピカソの娘)、ヒラリー・スパーリング(マティスの伝記作家)
|
 |
字幕監修・解説:野中 邦子
東京生まれ。多摩美術大学絵画科卒業。出版社勤務の後、フリーの編集者を経て、現在は英米ノンフィクションの翻訳に従事。
専門とするジャンルはアートと伝記。訳書:『マティスとピカソ 芸術家の友情』(河出書房新社)、『ピカソと恋人ドラ』(平凡社)、『伝記ウォーホル』『ダリ』(文藝春秋)、『キッチンコンフィデンシャル』『トルーマン・カポーティ』(新潮社)、『マリー・アントワネット』(早川書房)ほか多数。 |
 |
 |
|
|