音作りをするために独自の手法を使っている
私には求めてる特定のサウンドがある


ー 今のヒップホップ・プロデューサーは昔で言うコンポーザーやアレンジャーに相当すると思いますか?


D: そうだね。そうであるしかないんだ。でも不思議なことが起きてる。逆にヒップホップ・プロデューサーたちがアレンジャーを起用するようになってるんだ。ジェイZの新しいアルバムでもそうだった。多くの楽曲にホーンズが多用されてるけど、そのために彼はアレンジャーを起用した。それは素晴らしいことだ。ラップ・シーンでそれだけ著名な人がそれをやってるからね。他のラッパーもアレンジャーを起用するようになってるらしい。それは素晴らしいことだ。いつかサンプリングはつまらなくなるものだからね。


ー 今までサンプリングされた曲で好きな曲は?


D: ダイヤモンドDがラス・カスに提供したトラックはすごく良かった。ラス・カスが自分でプロデュースするようになったのは間違いだね。ダイヤモンドDはとても賢い男だからだ。彼は「Songs Of Innocence」に入っている曲のギターを使って、プロデュースした曲の様々な箇所でちりばめた。すごくヒップだったよ。それを聞いたときは、本当に巧みだと思った。あの曲は気に入ったね。それにあの曲が150万枚くらい売れたことも嬉しかったよ(笑)。


ー 他にもあなたはDJシャドウ、ローリン・ヒルなど数々のアーティストにサンプリングされてますが


D: ジェイZ、ジャ・ルールにだってサンプリングされてる。

ー そうですね。サンプリングされることで、若い世代の音楽ファン、特にヒップホップ・ファンがあなたの音楽に興味をもったと言えるのではないでしょうか?


D: 私の音楽が再注目された最初の理由は、UNKLEというグループが1999年に出した作品のおかげだ。他に6人のアレンジャーがストリングスのアレンジメントを書いた、りリミックスを手掛けた。でも私が手掛けたバージョンがトップ10シングルになったんだ。それがきっかけで、私は突然UKからひっきりなしに電話がかかってきて、インタビューの依頼が入ってきた。UNKLEのアルバムが成功したおかげで、Mo Waxからアルバムをリリースすることになった。だから、サンプリングされることで注目されたのかは分からない。Mojo誌で私が取り上げられたときは、サンプリングについての言及はなかったと思う。私の記憶が定かであればね。


ー DJやプロデューサーはブレイクビーツなどをサンプリングするためにあなたのレコードを買ってきましたが、あなた自身はその代名詞であるジェームス・ブラウンなどに影響されましたか?


D: いや、それはない。私はドラムが好きなだけだ。私が作る音楽には常にドラムがたくさん入ってる。とにかくドラムが好きだし、ドラムに焦点を当てるのが好きなんだ。ある程度音楽が続くと、4小節のドラム・ソロを入れて、次の展開に繋げる。ある意味、展開を作るための簡単でインチキな手口なんだ(笑)。4小節のドラム・ソロを入れれば、次の展開に進む。


ー あなた自身がドラマー出身だから、ドラムを多用してきたのでしょうか?


D: 私はドラムが好きなんだよ。私の兄貴がドラマーになるはずだった。兄は第二次世界大戦で殺されてしまったんだけどね。でも、私が小さな子供のときに、兄はよく私を椅子に座らせて、Victrolaの蓄音機でビッグ・バンドのレコードをかけていた。ビッグ・バンドのジャズを聴いてたんだ。あの時代がポップスにおける最高の時代だった。ヒットしたレコードはトップのジャズ・レコードでもあったからだ。デューク・エリントン、ベニー・グッドマンなどのビッグ・バンドがヒット曲を飛ばしてた。兄はレコードをかけながら、よくドラム・パッドを叩いていた。私はそこからドラムに興味をもつようになった。ドラムの叩き方をちゃんと教えてくれたのが、ジェラルド・ウィギンズだった。ジェラルドは理由あって私にドラムを教えてくれた。彼は偉大なピアニストなんだ。彼はエロル・ガーナーと同じくらい有名であるべきだよ。演奏法が2人とも似てるからね。でも不思議なことに、エロル・ガーナーはビバップは演奏しなかった。彼は年齢的にビバップに最適な年齢だったんだけど、彼はビバップが好きではなかった。一時期、彼の家ではセロニアス・モンクやバド・パウエルをかけることが禁止だった。一度彼の家でビバップのレコードをかけたことがあったけど、彼はベッドルームから出てきて『私の蓄音機からそのレコードを外せ!』と怒られたことがある。私は走ってそのレコードを止めたよ(笑)。


ー あなたはサウス・セントラルLA出身で、そこでR&Bやジャズを聴いて育ったとのことですが、楽曲にそういう要素を導入するようになったのは、そういう理由からでしょうか?


D: それはあり得るな。実は、どの音楽よりも私はジャズにのめり込んでいた。私は1956年に既に音楽業界で仕事してたけど、その当時はエルヴィス・プレスリーのことなんて聞いたこともなかった。レコード会社の人間がエルヴィス・プレスリーの話をし始めると、私は『あいつは最高だ』と返答していた。私は一度もエルヴィス・プレスリーなんて聞いたことがなかったのにね! 彼がエド・サリヴァンの番組に出演してやっと彼のことを知ったよ。私はそれだけジャズに没頭していた。私にとってジャズが全てだったんだ。


ー あなたはジャズ以外でもルー・ロウルズやナンシー・ウィルソン、レッタ・ムブルなどのシンガー、エレクトリック・プルーンズやプライドなどのロック・バンド、更には俳優のデヴィッド・マッカラムをプロデュースしたりと、あなたのプロデュース・ワークは多岐に及ぶのですが、どの作品にもあなたのサウンド・カラーを感じることが出来ます。


D: 私はナンシー・ウィルソンをプロデュースしたことはない。彼女は私にプロデュースして欲しいとは言ってたけどね。彼女のことは好きだし、お互いのことをリスペクトしてるよ。エレクトリック・プルーンズはプロデュースしたのではなく、彼らの楽曲を作曲したんだ。彼らをプロデュースしたのはデイヴ・ハセンジャーだ。デヴィッド・マッカラムとの仕事はおもしろかったね。


ー 「Songs Of Innocence」、「Songs Of Experience」、「Earth Rot」はあなたの最もサンプリングされた作品でもありますが、あの時代を振り返ってどうでしょうか?


D:
とてもいい時期だったよ。でも私はあまり振り返らないようにしてる。振り返ってる時間なんてないんだ。サチェル・ペイジはこう言った。『振り返ると誰が追いついてきてるか見えてしまう』と。


ー あなたの作品にはサイケデリックの要素も見えますが、サイケデリック時代にはどう影響されましたか?


D: 影響されたかは知らないけど、好きだった。ドアーズはとても好きだった。ストレンジなサウンドが好きなんだ。ザ・バーズも好きだったよ。もともとザ・バーズは好きじゃなかったし、フォークは嫌いだったんだけど、「8 Mile High」は素晴らしいレコードだと思ったよ。ストレンジなサウンドが入ってたんだ。あの12弦のギターの使い方がヒップなんだよ。あとドアーズは素晴らしいグループだったね。“This Is The End”が嫌いなヤツなんていないよ。最高の曲だね。


ー その独特のサウンドを生み出す秘訣は?


D: それは言えない。それを説明したら、私のサウンドではなくなってしまうからね。音作りをするために独自の手法を使っている。私には求めてる特定のサウンドがある。オーケストラの各セクションや楽器に別々のイコライゼーションをかけるんだ。その詳細は誰にも教えられないけどね。スタジオでは、エンジニアはよくEQをノートに書き留めていく。でも私の場合は、ウソのEQを書くようにしてある。キャピトル・レコーズの書類を確認したら分かるけど、書類に書いてあるEQは間違っている。


ー 今まで様々なボーカリストや演奏家と仕事をしても、あなたのサウンドが反映されてきましたが、一緒に仕事をするアーティストがあなたのサウンドを貫き通すためにスペースを与えてくれたのでしょうか?


D: もちろんだ。もしそうしてくれなければ、私はその人と仕事はしなかった。キャノンボール・アダレイがキャピトル・レコーズと契約したとき、彼が私と仕事したいと言った。彼が私を指名したんだよ。ハロルド・ランドの「The Fox」という名前のアルバムのおかげだ。キャノンはそのアルバムを買って聴いてたらしいんだ。私がキャピトル・レコーズで働き出したのは1964年だ。1962年に、サンセット通りにあるバーで親友のジミー・トルバートと飲んでいた。キャノンボール・アダレイがそこにマーレイ・アンドリューズというシンガーと入ってきたんだけど、彼は僕とジミーの共通の知人でもある。アーニーが私をキャノンボールに紹介してくれたとき、キャノンボールは『なるほど!君が「The Fox」を手掛けた人だね。いつか出会うことになると思ったよ』と言ったんだ。キャノンボールはとても奇抜な人だったけど、大好きだった。彼とはとても仲良くなった。キャノンボール・アダレイがキャピトルと契約したとき、彼はハロルド・リヴィングストンと話をした。ハロルド・リヴィングストンは、今までの音楽業界にいた最もヒップな経営者だった。A&Rのヘッドはヴォイル・ギルモアだった。そこにはジャズを担当しているプロデューサーがいて、デヴィッド・カヴァノーという優れたアレンジャーもいた。レコード会社がキャノンに『できればレコード会社に所属してるプロデューサーを使用して欲しいけど、好きな人を使ってもいい』と言ったときに、彼は『デヴィッドと仕事したい』と言ったんだ。レコード会社は少し驚いたみたいだけど、そういう経緯で一緒に仕事するようになった。


ー キャノンボールとの思い出を教えてください。


D: あまりにも多すぎてどこから始めればいいから分からないよ。一緒にいろんなアドベンチャーを体験した。とても仲が良かったね。彼が亡くなったときは、本当に悲劇だった。彼がああやって脳梗塞で死んだときは、全く予想がつかなかった。彼が死ぬ1週間前に、これから一緒にやるビジネスの計画を立てていた。

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